☆☆☆☆☆☆ 関野吉晴 × 水本博之(監督)× 会田誠(美術家) ☆☆☆☆☆☆








水本
 今日はありがとうございました。
 監督の水本博之です。






関野
 関野吉晴です。
 今日のゲストは、美術家の会田誠さんです。






会田
 よろしくお願いします。



関野
 映画をご覧になった印象はいかがですか。



会田
 色々感じましたが、関野さんが良い先生だなあと思いました。
 僕もかつて武蔵野美術大学(ムサビ)の油画科で非常勤講師をしていて、その頃出会った学生が関野さんとつながりがあって、僕が今日ここにいるわけなんですけれども。

 美大生ってどういう教育をしたらいいか難しい面もあるんですが、関野さんがムサビにいるのは相当いいことなんだろうなと思いました。




関野
 会田さんにとっての良い先生とはどういう先生ですか?



会田
 どういう先生でしょう(笑)。

 僕が東京藝術大学油画科にいたころは、三木成夫さんという発生学者の先生がいて、妙に人気があったんです。髪の毛がアインシュタインみたいで挙動不審なおじいさんだったんですけど、三木さんの影響を受けた作品を作る人が今でもいます。
 「美大に行って良かった」と思い出すのは、実技の先生ではなく、一般教養のユニークな先生だったりしますね。むしろ美大は、そういった先生の層がどれくらい厚いかがポイントだと思います。
 関野さんも、自然や人類の悠久の時間を感じたいという学生にとっては良い先生なんだろうなと。



関野
 就職には一番役に立たないですけどね(笑)。

 ただ、僕はあまり教えないんです。何でも教えちゃうより、ヒントを与える。先生としてもリーダーとしても、やる気を起こさせられればいいと思っているんです。だから、今回の航海も隊長ではあるけれど、決断力や判断力があるリーダーではなく、むしろ頼りない、自分でやらなきゃと皆に思わせる老子的なリーダーです。逆に言うと、リーダーは何もやらないで、リーダーがいなくても動くようにさせるのが、僕にとっては一番いいリーダーであり先生です。自分で一生懸命調べることが一番大切かなと思います。    






会田
 この映画で特徴的だったのは、時間がかかってしまったことですよね。
 テレビで見る冒険は、リスクを負って命がけの行動をして、「死ぬかもしれないけど助かった、ラッキー」という展開にドキドキするんですが、関野さんは「死んだらまずい」と慎重ですよね。映画としては、盛り上がるはずのテンションがそこで途切れてしまうと思うんですが。



関野
 だから監督は待っているわけですよ。舟がひっくり返らないかなと(笑)



水本
 一回くらいひっくり返ってくれても良かったかなと思いますけど(笑)。



関野
 まあ、僕は時間の捉え方が違うと思うんです。
 例えば、グレートジャーニーも10年かかったけど、僕の周りの人は大学生を14年やっているから、10年なんてどうってことない。僕も大学に8年行って、それから医学部に行きましたし。






会田
 以前、瀬戸内国際芸術祭で、小さな島で滞在制作をすることになったので、酒井貴史くんという若いアーティストに「一夏空いているか」と電話をしたら、「全然空いていますよ」と。  その後も、いつ電話しても大体空いていて、有り難い人材なんだけど、不安にもなりますね(笑)。

 でも、そういう人が少しはいないと困りますよね。



関野
 僕も大学生が長かったので、「お前暇だろ」としょっちゅう引っ越しを手伝わされたんですが、別に暇じゃないんですよ。
 時間をつくっているわけであって、退屈したことはないんです。だから、暇つぶしに手伝いに来いと言われるとちょっと違うんです。



会田
 僕の作品で、美大生と一緒にダンボールで大きなモニュメントを作る作品があるんです。全国の美大を回ってワークショップを一ヶ月くらいやるんですが、ゼミや授業で忙しく、なかなか参加できないと言う学生が多い。

 自分の美大時代はずっと暇だったんですが、僕の頃から自由放任主義にしたら学生が皆学校に来なくなって、美大が崩壊しかけた。それで、課題をたくさん出すという流れになったんですが、それも違うよなと思うんです。美大の4年くらいぼやっとした時間があった方がいいと思うんですけどね。






会田
 監督もイケメンですが、映画の中に出てくる若い二人も、一人イケメン系がいましたよね。最終的にはワイルドになったのかもしれないけど、最初はモヤシっ子というか、現代っ子のように見受けられましたけれども。



関野
 二人ともイケメンですよ(笑)。
 次郎と洋平はかなり変わったと思いますね。例えば最近の子は、缶切りが使えなかったりしますけど、一年船作りをして三年航海したら、最後は彼らナタで缶切りできるようになったんです。
 そう言うと「僕らが変わったのはそれだけじゃないでしょ」って怒られるんですが(笑)。たくましくなったのと、大人になりましたね。

 水本監督は、参加して何か変わりましたか?
 航海に加えて編集も三年やって、やっぱり粘り強くなりました?



水本
 そうですね、遠い未来のことを不安に思ってもしょうがない、と思うようになりました。

 僕は2年目から航海に参加したんですが、縄文号とパクール号の航海はめちゃくちゃ遅いんです。他のクルーや関野さんは慣れているんですが、僕は東京で普通に仕事をしていて突然参加したから、その遅さに気が狂いそうになるわけです。だって、一日で進むのが10kmとかですからね。撮影船はエンジンを積んでいるから、行こうと思えば一気に行けるんですが。

 縄文号のスピードに合わせると、めちゃくちゃ揺れるし、エンジンの排気ガスが船に充満して気持ち悪くなる。

 毎日地図を見ては、「今日はこれだけ進んだ」とか「進まなかった」とか確認していて、そうしているうちは結構辛かったんですが、ある時、地図や日程を見るのをやめたんです。

 そうしたら楽しくなってきましたね。






〔記事:木村奈緒〕





対談者プロフィール

会田誠
美術家。
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。
美少女、戦争画、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。

国内外の展覧会に多数参加。
主な展覧会に「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」(森美術館、2004年)、「ビリーフ」(シンガポールビエンナーレ、2006年)、「アートで候 会田誠・山口晃展」(上野の森美術館、2007年)、「バイバイキティ!!! 天国と地獄の狭間で―日本現代アートの今―」(ジャパン・ソサエティ、ニューヨーク、2011年)、「ベスト・タイム、ワースト・タイム 現代美術の終末と再生」(第1回キエフ国際現代美術ビエンナーレ、ウクライナ、2012年)など。

また昭和40年生まれのアーティストで結成された「昭和40年会」、美術家の妻・岡田裕子主宰のオルタナティブ人形劇団「劇団☆死期」、小説やマンガの執筆など活動は多岐にわたる。