☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 関野吉晴 × 江本嘉伸(地平線会議代表世話人) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆







関野
 今日はありがとうございました。まずは、江本さんに感想をお聞きしようと思います。





江本
 関野さんとは40年以上の付き合いになりますが、この映画を、純粋にオーディエンスとして観て、うーんすごいな、とあらためて思いました。すべてを自然から作り、移動を人力だけでやり通した事実を。



関野
 このプロジェクトは(太古の航海を厳密に再現するような)実験航海ではありません。要するに、太古の人たちに思いを馳せながら彼らが何を考えて旅をしたんだろうか、何が辛く、何を喜びとして旅をしたんだろうか、といったことを実感したかったんです。同行した若者たちにも、「気づき」を得て欲しかった。



江本
 ゆっくりした時間で航海が続いた最後、台湾の成功港を出てから日本の石垣島近くまで2日で300キロという台風の追い風を受けたスピードも驚きでした。 そして、3.11が衝撃的ですね。あれも我々の目の前にある、大きな「気づき」だと思います。辛いことだったけれども、深いことを教えてくれた。関野さんと日本人クルーが2週間被災地に行って支援活動するけれど、その描写が入ることで、さらに考えさせられる映画になったと思います。
 そしてあの同じ日、仲間の訃報が届いたこともショックでした。私は、映画の全編を通して流れる彼の歌がしみじみすごい、と感じています。



関野
 本当にショックでした。多分、漁をしていてなんらかの発作が起きたのではないか、と推測しています。死ぬような男ではなかったから。



江本
 私は新聞記者をやっていたので、今回の挑戦の一部始終をよくぞ記録し続けてくれた、とも思います。だって監督の水本君や他のスタッフが頑張ってカメラを構えていなければ、今回の挑戦の現場は誰も知ることができないんですよ。

 あと、びっくりするのは、繰り返し同じメンバーで、ああいうチャレンジを続行出来たこと。関野さんの力でしょう。奇跡に近いのではないのかな…。



関野
 確かに、登山隊にしても学術探検隊にしても、だいたい終わって成田に帰ってきたらもう二度と顔を見たくないという人が多いじゃないですか。



江本
 そうそう、多いんですよ実は(笑)





関野
 文化、年齢、言葉、国籍、宗教も全部違う人間同士だったんですけれど、一緒に生活していくなかで、それぞれが変化できたのだろうと思います。



江本
 クルーが熱心にメッカの方向に向かって祈る場面がありましたが、マンダール人たちは皆熱心なイスラーム教徒なんですか?



関野
 全員イスラーム教徒ですが、さまざまですね。あのように熱心に祈りを捧げげていたのは彼1人だけです。お酒にしても、飲むときは飲む者が多かった。



江本
 当然、彼らに幾分は報酬を払ってるんでしょう?



関野
 報酬じゃなくて、彼らがいなくなったら家族が困るんです。稼ぎ頭ですから。行きたくても、親の反対か奥さんの反対があったら絶対来れないです。それで諦めた人がたくさんいるんですが、彼らは来れた。その代わり、留守中の間の収入を保証しなきゃいけなかったということです。



江本
 なるほど。



関野
 実は、船大工の棟梁がいて、彼も来ると言っていた。僕は、船を作った人が一緒に日本に行くと言ったら、ひどいものは作らないだろうということで、ホッとしたんです。ところが、最後に彼は降りました。その理由は、お金が目的だったからです。そういう人には来てほしくないです。

 最後まで同行した彼らはお金が目的ではなくて、「誇り」でした。



江本
 話は脱線しますが、2002年に国際山岳年というのがあり、事務局長を勤めました。その際私たちが提唱した「山の日」が、最近新たな運動になって盛り上がり、国民の祝日として昨年国会で採択されました。「山の日」の思想とは、関野さんがやっているように自然にかえる、山の民であることを自覚することなんですよ。少し心配なのは、いまの日本ではこの祝日があっという間にイベント化して軽いお祭りになってしまうかも、という予感なんです。
 来年2016年8月11日から「山の日」が始まりますが、僕らがやりたいことは、この映画で関野さんがやっていることと、深いところでつながることなので、その事を覚えておいてほしいです。





〔記事:尾崎香仁〕





対談者プロフィール

江本嘉伸
1940年生まれ。ジャーナリスト。「地平線会議代表世話人」
元読売新聞編集委員。日本山岳会会報委員。東京外国語大学山岳会員。