☆☆☆☆☆☆ 水本博之 × 太田信吾(映画監督・俳優) ☆☆☆☆☆☆








水本
 今日は映画監督で、俳優でもある太田信吾さんをお呼びして一緒にお話をしようと思います。

 太田さんは『わたしたちに許された特別な時間の終わり』という作品を監督されて、昨年この劇場でも公開しました。彼の友人の死を扱ったドキュメンタリー映画です。

 一見、今回の僕の『縄文号とパクール号の航海』と全然似てないようで、共通点のようなものがあると思うのでその辺りについて話していこうと思います。






太田
 初めまして、よろしくお願いします。



水本
 僕、太田さんに訊こうと思ったことがあって。

 太田さんは自分の作品で現実の人の死を扱うじゃないですか、友人の死を。それに対してためらいというか、自分がこの映画をつくっていていいのかという疑問はありませんでしたか?

 …というのも僕はこの映画でザイヌディンの死や東日本大震災を扱っているからです。被災後、瓦礫だらけの混乱の中、皆が現在進行形で悲しみに沈んでいる中でカメラを持って被災地に入るわけですから。
 よそ者の僕が記録という仕事をする。記録なんて今この瞬間悲しい人には役に立たないんです。その場で記録する人なんて役にたたないし、状況を変えることもできない。

 だから「撮っていていいのか」ということをすごく思ったんです。
 結局映画にした訳ですけども。



太田
 僕の映画と『縄文号とパクール号の航海』で扱われる死の違いは、事故や災害で亡くなったのと自殺ということ。

 僕は主人公の増田くんというミュージシャンを生前から撮っていたわけですけれど、彼が自殺してしまって遺書に「自分のことを映画にしてほしい。ハッピーエンドの映画にして完成させてほしい」と書いていて。

 どういう映画を撮ろうかという話も彼の生前からしていたので、特に人の死を扱うことにためらいはなかったというか…






水本
 むしろ表現して残さなければいけない、と思っていた?



太田
 使命感を駆り立てられるようなところはありましたね。

 ただ映画に登場する友人が自殺したって聞いた時は悲しいとか言うよりも、怒りの感情、「なんでそんな諦めてしまうんだ」みたいな…。それで実際にその半年後に震災が起きて。

 関野さんも映画の中でおっしゃっましたけど、もしかしたらそれが彼にも転機になったと思うんですね。彼が音楽を通じて何が出来るんだろう。とか、あるいは彼が抱えていた病気のことに取り組む、だとか。
 彼や、彼を死なせてしまった周りも含めて僕は腹立たしさを覚えて。本人もそういう遺志が残してるんだったらしっかり描かなきゃいけないと思って。

 ただお葬式の時はみんな泣いているし、ご両親とも面識がなかったのでやっぱり撮れなかったですね。 これは表現者として本当に僕は駄目だなと思うところですけれど。








太田
 …でもちゃんと彼が亡くなったことを伝えないといけない、と思って。
 彼のご両親にも説明して「息子のことを映画にする」ことを了承してくださいました。お父さんが撮っていた亡骸の映像も提供してくださったので。

 単にドラマとして消費するだけなら絶対使いたくなかったんですが、自殺の問題を訴えかける為には必要でした。



水本
 僕もずっとザイヌディンの死を大きく扱っていいのかという疑念があったんです。
 でも編集している3年間、ザイヌディンのあのささやく唄がずっと頭に鳴っているんです。
 やっぱり彼は旅のことを誇りにしていたし、「これは残さなきゃいけないこと、彼の存在を忘れさせてはいけないことなんだろう」と信じて作品に入れました。震災も同じです。

 けど下手したらセンセーショナルな部分だけが受け取られてしまう危険性もあって、気をつけました。そういうところが今回太田さんの作品と共通する点じゃないかな。






太田
 彼らはもう作品を観たんですか?



水本
 これから見せに行きます。今年も彼らの村に行きますよ。






〔記事:羽蚋拓未〕





対談者プロフィール

太田信吾
映画監督・俳優
1985年長野県生まれ。
早稲田大学の卒業制作作品として監督した引きこもり青年と家族の関係を描いた映画『卒業』(2009年)がイメージフォーラムフェスティバル2010で優秀賞・観客賞を同時受賞。同年、ドキュメンタリー映画『少年少女』(2010年)が大阪アジアン映画祭を皮切りに全国各地で上映される。2013年、東京フィルメックス「タレントキャンパス」に選出。覚せい剤取引が横行する実在の街で失踪した友人をモチーフにした劇映画の企画をプレゼンし、出資者を得た。リアルとフィクションが入り混じる構成、過剰とユーモアの狭間に紡ぎ出される人間讃歌がこれまでの作品の特徴である。2009年からは横浜を拠点に世界各国で演劇公演を行っているチェルフィッチュの活動に俳優として参加している。2010年『三月の5日間』香港公演で初舞台を踏み、世界各国での公演に出演。舞台と映画を横断して活動している。