☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 関野吉晴 × 服部文祥(サバイバル登山家・作家) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆








関野
 こんにちは、関野吉晴です。
 服部文祥さんは、サバイバル登山家として有名ですが、最近作家デビューされたんですよね。






服部
 たまたま歴史のある文芸誌(『新潮』2015年2月号)に載せてもらいまして。



関野
 服部さんがK2に登頂された時のお話を元にされていると思いますが、あれはノンフィクションでは書けなかった?



服部
 そうですね、ノンフィクションでは書きにくいことを作品にしたいという気持ちは常にありました。



関野
 僕も読んだんですが、ちょっと凍りつきました(笑)



服部
 それは良かったです。作品は、自分の手を離れたら読んだ人のものだと思っているので、関野さんの中で心の 動きがあれば、作り手として嬉しいですね。



◇◇ 縄文号とパクール号の航海 について◇◇



服部
 ちゃんと見るのは今日で3回目なんですが、お疲れ様でした。
 いい旅ですよね。3回見てそう思っているんですけれども。



関野
 やはり時間がないと出来ないですからね。



服部
 我々が移動すると言うと、「効率よく目的地へ」と考えてしまいがちだけど、今回の航海は移動そのものが目的なわけだから、効率やスピードは意味がないんだなと思いながら常に見ていました。
 かつて海を渡って日本に来た人たちも、おそらくあんなタイムスケジュールで進んでいたのかなと。今年はここまで、来年は良い風になったらちょっと進むといったように、自分の生活や人生そのものを乗せて動いていたのではないかと思ったんですが、いかがですか?



関野
 その点に関しては、僕は少し違うと思っていて。
 僕達は3年かけてインドネシアから日本に来たけど、昔の人は、一世代毎にひとつの島を移動していたんじゃないか。
 つまり、昔の人は、島に着いたらそこにとどまって、島から出る必要がなければ出なくていいわけです。人口が増えるなど、色んな事情で必要に迫られたときに島を出る。日本を目指してきたわけではなく、一世代に一回くらい次の島に渡っていったら日本に来てしまったということだと思うんです。だから、今回の航海は昔の航海とは遥かに違う旅というか、スパンが違うんですね。






関野
 服部さんは『サバイバル登山入門』という本も出されていますけど、ライトも時計も使わず、サバイバルしながら、なおかつ先鋭的な登山をしているので、すごいなと思っています。
 服部さんの「ズルしない生き方」というのを初めて聞いたとき、感銘を受けたんですよ。



服部
 目指してはいるんですが、実際はズルだらけです。でも、今回の航海の考え方とほぼ同じですよね。「全部自分でやってみたい」という。なんでやってみたいのかと聞かれると、答えるのが難しいんですけどね。



関野
 目指すところは、登山だけでなく、生き方全体においてもズルをしないことなんでしょう?



服部
 そうですね、最終的には生き方全体を目指しています。最初はせめて山の中、せめて自分の登山では自力でやりたいというところから出発していますが。結局山って、生活の番外編として存在するので、土台である生活の影響を受けてしまうんですね。だから、生活の方も自力にしないと、山も自力ではやりきれないんです。
 でも、生活も全て自力でやるには時間がかかる。非効率だけど自力であることは、本来受け入れるべきことなのに、日本人は効率が良くて気持ちがいいことばかり追い求めているから、非効率なことは無駄だ、馬鹿だ、賢くないと思ってしまうんですね。僕も子供の頃からそういう価値観の中で育ってきたので、それを浄化するのが難しい状態ですね。



関野
 この航海でも、船大工を探したときに、「ばかじゃないの、最先端技術がある日本から来て何でそんなことやるんだ」ってみんなに言われました(笑)




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~服部文祥さんの後日談~

 トークの最後に会場から、危ない旅を続けることと「死」の折り合いをどう付けているのか、という質問があった(よくある質問だ)。関野さんは折り合いを付けていない、と答えていた。関野さんのような人は、危険だから「やらない」という考え方はしない。多少危険だけど「やりたい」、だから死なないように気をつけながらやる、というだけである。
 その点、インドネシアクルーはどうだったのかが気になって、関野さんに聞いてみた。必要に迫られたわけでもない非効率な旅をインドネシアの人はどうとらえていたのか?
 現地クルーも旅が進むにつれ、日本まで行きたいという思いが強くなり、インドネシアに残った家族や知り合いからも評価されるようになった、とのことだった。なんでわざわざ手作りのカヌーなんだ? と言っていた人々が、実際に行為を見せ られて、「自力の旅」の魅力に気がついていく。家族が父親のやることに誇りまで感じるようになる。これこそが、縄文号の旅の最大の成果だったのではないかと、思った。

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〔記事:木村奈緒〕





対談者プロフィール

服部文祥
1969(昭和44)年神奈川県生まれ。
1996年から山岳雑誌「岳人」編集部に参加。K2登頂など、オールラウンドな登山を経験したあと、装備を切りつめ食糧を現地調達するサバイバル登山を始める。それらの山行記に、『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『サバイバル!』『百年前の山を旅する』などがある